2008年12月31日

去年今年貫く棒の如きもの

 さっそく子規からずれてしまいますが、子規の弟子のひとりに高浜虚子という人がいます。
 子規は近代の短歌俳句を革新した人ですから、弟子といえるような人はたくさんいるのですが、なかでも俳句の方面では、同郷の河東碧梧桐と高浜虚子が二大弟子といってもいいでしょう。
 三人の郷里松山で一緒にベースボールをしたこともあるようです。

 碧梧桐が無季自由律の新傾向俳句へ向かったのに対して、虚子は伝統的な有季定型を守っていこうとします。

 春風や闘志いだきて丘に立つ(虚子)

 この句も教科書によく取りあげられている虚子の代表的な作品です。句が作られたときの意味としては、「碧梧桐によって曲げられた俳句の道を、私が元の道にもどしていくぞ」と、いったんは小説のほうに重点をおいた虚子が、俳句のほうにもどってきて決意する。そういう「闘志」ということです。

 春になって新しい学校や職場に入り、「さあ、これからがんばるぞ」と決意している人のイメージが私の頭には浮かんできます。

 去年今年貫く棒の如きもの(虚子)

「去年今年」を「こぞことし」とは、読みにくいですよね。季語の分類には、「春」や「夏」だけではなく、「新年」というのもあるのですね。

 「棒の如きもの」は、時の流れなのか、日常性ということなのか。いずれにしても、年をまたいでも変わることのない何かを感じることはできます。年末年始には取りあげられることの多い句でしょう。

 新年を迎えると「今年は○○をがんばるぞ」などと、誰でも決意を新たにします。
 いいことです。私も決意します。
 でも、人間なかなか決意どおりに実行はできません。決意はすぐに消えてしまいます。

 去年今年決意は泡の如きもの(登)

 おそまつ。

人気ブログランキングへ

(トップページへ)
posted by 青山登 at 08:51| Comment(0) | ギャグ・ユーモア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月30日

いくたびも雪の深さをたずねけり

 正岡子規には何かひかれるものがあります。和歌の世界では教科書中の教科書ともいえる「古今和歌集」を「あんなものくだらない和歌集だ」と言ったり、先生中の先生ともいえる紀貫之を「あんなのへたくそな歌詠みだ」と言ったり、勇気があるというか、びっくりさせられます。子規が野球好きだったことにも、私は興味を覚えます。

 いくたびも雪の深さをたずねけり(子規)

 これは学校の教科書などにもよく載っている、子規の有名な句です。松山出身の子規にとって、雪は珍しいもの、興味をひくものだったでしょう。結核性の脊椎カリエスという病気に侵された子規は、寝たきりのような生活を余儀なくされ、雪が降り積もるのを自分の目で確かめられません。家人に何度も何度も「雪はどれだけ積もったか」と尋ねるのです。

 さて、世は冬休み。子どもたちにとっては、おいしいものが食べられ、お年玉も期待できる楽しい時期です。しかし、お母さんたちにとって、夏休みや冬休みなどの長期休暇は子どもの昼御飯をどうするかで頭を悩ます時期でもあります。三食作るとなると、一日中ご飯の準備に追われているようでたまりません。「お昼はカップラーメンですましちゃおうかな」「子どもはゆっくり寝かせておいてブランチにしちゃおうかな」という考えも起きてきます。
でもそこは、子どもたちのために、がんばって。お母さん。

 いくたびもご飯まだあとたずねけり(登)

 おそまつ。

人気ブログランキングへ

(トップページへ)
ラベル:子規
posted by 青山登 at 17:22| Comment(0) | ギャグ・ユーモア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする